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昨今の親子、子供のしつけ、虐待事情……これが親でいいのだろうか。 #気になるニュース2019年


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昨今によく報道されている栗原勇一郎、なぎさ夫妻による、長女、心愛(みあ)ちゃんへの虐待、そして死亡に転じてしまった悲しい事件。
この事件を境に目立つようになったのかははっきりはしていないが、子供が受ける親からの虐待、というニュースはこのところ、連日と言っていいほど報道されるようになってきた。対策を講じてもこうやって痛ましい事件は後を絶たない。どうしてだろうか。
児童虐待自体は昔からよくある事件ではあるが、年を追うごとにその数は増えてきているという。どうして親が子供をいじめるのだろうか。どうして死亡という最悪の結果に追い込むのだろうか。
そもそも、親という人種がその親に愛されてきただろうかということから考えないといけない。親に愛されなければ、その子供も愛されるということを知らずに育っていくのではないのだろうか。それを見守るのも親の役目のはずである。間違えた育て方をすると、ゆくゆくは「犯罪者」というものを要請するだけではないのだろうか。
そしてなぜ結婚した。それと、子供を作るという行為。これが「愛し合って新しい命を」という理由でなく。それでは結婚の意味合いというものはありえないと私は感じる。
この結末を防止するためには、まず「愛」の能力を小さいころから教えていくべきだと感じる。愛することは優しさを知る。愛されることはありがたみを知る。個人の意見ではあるが、それだけでも人の育ち方というのは変わっていかないだろうか。次に間違ったことの正し方。飴と鞭という単語は普通にあるが、鞭ばかりでは上のような結末を迎えること請け合い。だが飴だけでもいけない。飴と鞭の加減を理解して、扱うことは初歩の初歩の行動だと感じる。そして必要以上の監視という行動を行わない。親たるものは子供が心配なのはいたって普通の心情であろう。だが子供に何かがあった、だから必要以上に見張る。逐一報告義務を第三者、学校の先生なり担当する医師なりに依頼するなど。この監視というものをしていると、のちのち疎まれること請け合いではないのだろうか。
親とて様々な人生、人種というものがある。生きていた背景も様々。もちろん、いじめられた、という経験がある親も多いだろう。だからってその行為を子供にまで与えていいか、答えはもちろん「NO」だろう。繰り返しになるが、愛を覚え、躾の加減を覚え、必要以上に見張らない。これができないなら、ひとりで生きていくべきだと私は感じる。